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土間

今の時代に、紹介してもしょうがないかもしれませんが、床材としてダントツの実績を持ち、今や無視されてる、オールドチャンピオンです。
 
(我々は、土間の実務経験がないので、以下は単なる評論ですが・・・・)
(まさか土間をライニング屋に発注する酔狂な人もいないでしょうし・・)
 
日本中で復元されている 縄文の竪穴式住居の床と壁。(あれもやはり、壁というんでしょうか?・・・球形タンクでは 上下二分割して、上半分をルーフ、下半分をボトム、という習慣ですが、竪穴式住居の方が もっとハッキリ、ルーフとボトムの構成みたいな感じがします。)
 
中に入ると、ひんやりします。
冬の夜はひんやりどころじゃないと思います。
 
横浜で 冬の夜、二万キロリットルのコーンルーフ型石油タンクの中で、一人でライニングの焼付け作業をやっていたとき、靴底から伝わってくる寒さは、痛いほどでした。
 
冬の駒ヶ根市で、駐車場の車の下に潜りこんで夜を過ごした時も (禁詮索理由) 一番きつかったのが 地面からの寒さでした。
 
子供の頃、爺さんに怒られて 床下の芋倉に放り込まれ、上から蓋された時、土が冷たかった事が 記憶に残っています。
 
だからもし、自分が竪穴式住居に住むなら、真っ先に断熱を考えます。
 
窪田建設(株)さんが発泡スチロール捨て型枠工法で、鉄筋コンクリート住宅を作っている現場を、見学させてもらった時、まだドアも窓ガラスも入っていない吹きさらしなのに、外と中の体感温度の違いにびっくりした記憶があります。
 
だから、断熱材で囲えば、それだけでも、そんなに寒く感じなくなるはずです。
 
・・断熱材に何を使うか?・・
 
山梨の釈迦堂の縄文遺跡では、が板張りだったと推定されているようです。
しかし、保温の為かどうかは わかりません。
あの時代に、入手可能な断熱材といえば・・・
抗火石、軽石、珪藻土・・・産地は限られるけど、建材に使えそうです。
パーライトやシラスバルーン、あるいはその類や、バーミキュライト等は、粘土と一緒にこねて、日干し煉瓦にすると、いい断熱材になりそうです。
粘土で隙間を埋めながら、木炭を煉瓦積の要領で積んでも よさそうです。
 
しかし、現実に そんな遺跡が見つかった という話は聞きません。
もしかして、そんな寒がりはいなかったのか?夏の暑さの方が いやだったのか?
それよりもなぜ、どこの復元住居も皆同じ様式なのか?(あの時代も皆と違うことをしたら、村八分にされたのか?
 
・・・もしかしたら、床ばかり見ていては いけないのかも しれません・・・
 
復元住居の茅葺屋根は、見るからに雨漏りしそうです。
テントで暮らした人はわかるでしょうが、狭い小屋の中で雨漏りしたら、その鬱陶しさは半端じゃありません。(故郷にはイビシイという適切な形容詞が有りましたが・・)ましてや、竪穴式住居、・・・もし雨が入ってきたら、水の行き場が無い!
雨漏りを放置すれば、たちまち水浸しですから、当然 くみ出さないといけません。
それには、水を貯めるドレンピットと、そこに水を導く水路がいります。
地面が土なら、どこから漏れても 水路は すぐ作れます。
そのとき、軽石や抗火石を敷いていたら、作業の邪魔かもしれません。
(竪穴式住居の遺跡の床に、そんなドレンピットの痕跡は 本当に無いんでしょうか?
・・・気になります。)
 
それとも、あんな雨漏りしやすそうな屋根じゃなかったのでは ないでしょうか?
 
北ルートで渡来したご先祖様たちは、シベリアから カムチャッカ半島経由で いらっしゃったそうですが、かの地の古~い住居は、マンモスの牙と、動物の皮で作ったと 推定されています。日本に来ても、その 古ーい 文化を踏襲なさったのではないでしょうか?
骨組みは、より軽くて、真っすぐな木材にすぐ変わったとしても、アザラシやトドの皮で屋根を作るとか・・・この方が雨に強そうです。
 
四国の山村で生まれ育った田舎者の経験からすると、縄文遺跡の屋根が“茅葺”という復元の仕方は、ひどくひっかかります。
木は、石斧で簡単に切れるかもしれないけれど、茅(ススキ)は、切るのは大変です。
手も血だらけになる。(ススキの葉は、刃物です。下手すると大怪我します。繊維が強いので、茎も折れ難い。 葦なら納得しやすいんですが・・・葦も同じか・・)
 
ともあれ、雨露寒さを凌ぐことは、生きる為の土台です。
だから、その手段である “竪穴式住居”は、仮設ではなく、耐久構造物だったハズです。
そして、その継続の歴史は、一万年(!)。中国四千年の歴史とやらの2.5倍です。
だから、無数の実証試験をくぐり抜けた、完成度抜群のへビーデューティー建築仕様だったに 違い有りません。
 
その視点で もう一度全体構造を考えてみると、・・・(何の証拠も無い推測ですが)多分、一番の大敵は、台風の横風でしょう。
 
風当たりを弱くする為、背を低くする。
そして、その分少なくなる居住空間を広げる為、穴を掘った。
 
そうなると、釈迦堂の壁の板は 断熱材ではなく、壁の土止めであった可能性が 大です。(穴が深いと、安全上、土止めが要る。)
 
寝る場所も、ベッドのように地面から浮かせた構造にしたはずです。
(そうでないと、万一の雨漏りに直撃されてしまう。)
そうすると、地面の冷たさも気にならなくなるので、断熱はさほど重要ではなくなります。
 
かくて、(実際住んだ事のない人間の)勝手な想像図ができました。
↑(無理やり作った)ドレンピット
(屋根は、葦か、動物の皮、周囲に防風林を作る。鳥居のような絵はベッドのつもり・・下手で申し訳ない)
 
ただし、現実の遺跡の寸法を計測すると、30cmだか、40cmだかの倍数になっているそうですから、個人が自分の好みで適当に作ったんじゃなくて、古代の“建築基準法”に基づいた規格化された建造物だったのかもしれません。
 
そして、結局“床は土だけに限る”というのが、ご先祖様たちの結論だったのでしょう。
 
しかし、現代の技術をもってすれば、もっとハイレベルの土間を持つ快適な竪穴式住居が作れ・・・やっぱり、だれも相手にしてくれないんでしょうね・・・いまどき
 
【しかしそれでも】
サッカー場や陸上競技場のフィールド等は現代の“土間”と言えるかもしれません。
多くの人が多少嫌気がさしてきているアスファルトやコンクリートやプラスチックに代替する素材として、“土”や石や植物は第一候補かもしれないという気がします。
どういう風に使いこなすのか、どんな発想が出てくるのか・・フィールドプレーヤーが評論家やってちゃいけないんで、私達も何かそのうち考えてみたいと思っています。
 
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